2020.4.17
 強い「ストレス」を感じた人に着目して欲しいこと:強い「不満」(怒り)の場合 ・「思い通りにならない」原因を自分の中に探す

強い「ストレス」を感じた人に着目して欲しいこと:強い「不満」(怒り)の場合 ・「思い通りにならない」原因を自分の中に探す

1.強い「ストレス」、特に強い「不満」(怒り)を感じたと気づいたら、何に着目すれば良いだろうか?

(1)自分の「価値観」を知る

(2)相手の「価値観」を知る

(3)自分自身の中に「怒り」の原因を探す

(4)「思い通りにならない」原因を自分の中に探す

次に、『「思い通りにならない」原因を自分の中に探す』の内容を説明する。

                   

2.「思い通りにならない」原因を自分の中に探す

どうすれば、「思い通りにならない」原因を自分の中に探すことが出来るのだろうか?

まず、自分の思い通りにならないことに対して、強い「不満」(怒り)の感情がある時には、冷静になるまで「待つ」しか無い。

②翌日や数日後、または一週間後に、自分の「怒り」の感情が収まって来た時が、重要なポイントとなる。

・まず行うことは、自分の思い通りとは、どのような状態なのかを考えてみる。

その際、極力具体的なイメージをはっきりさせることが重要な鍵となるので、出来ればそれらをメモやノートに書き出すことを勧める。

③そして、自分自身に着目することを試みる。

自分自身が「怒り」を覚えた時は、「自分に問題はなく、自分以外の人、会社または世の中のせいだ」と感じていたと思う。

すなわち、車同士の「交通事故」の場合、「相手」の車が「自分」の車に追突して来たというイメージで捉えていることになる。

しかし、この場合でも、「自分が急ブレーキを踏んだので、相手の車が追突したのかも知れない?」と考えて、「自分に何らかの非が無かったのか?」と問いかける。

これが、自問である。

そして、直感で気づいたことを、書き出してみる。

これが、自答である。

その時、自分自身にとって、分かりやすいい表現が望ましい。

自分自身が、「スッキリ」した場合は、それが自分の中の原因だったことになる。

この一連の行動が、「自問自答」であり、「内省」である

                    

3.どうして、自分自身の中に原因を探すことが、難しいのだろうか?

ジョハリの窓

            

自分は知っている 自分は気づいていない
他人は 知っている 開放の窓 盲点の窓
他人は 気づいて いない 秘密の窓 未知の窓

                    

1955年:ジョセフ・ルフトとハリ・イ ンガムが発表

①開放の窓:自分も他人も知っている自己(例:意識の自分)

②盲点の窓:自分は気がついてないが、他人は知っている自己(例:人の癖)

③秘密の窓:自分は知っているが、他人は気づいていない自己(例:過去の記憶)

未知の窓:誰からもまだ知られていない自己(例:無意識の自分)

・上記のように、「ジョハリの窓」という考え方がある。

そして、「自問自答」という行為は、「開放の窓」という「意識の自分」から、「未知の窓」という「無意識の自分」への問いかけであり、また「未知の窓」から「開放の窓」への返答であると言える。

・すなわち、誰からもまだ知られていない自分にアクセスすることが、「自問自答」であり「内省」なので、難しいと言える。

ただし、捨てられない「こだわり」である「価値観」が存在し、かつ気づければ捨てることも可能な多くの「こだわり」も、間違いなく自分自身の中に存在していることは、事実である。

・見方を変えると、自分の「価値観」を知ることは、「自分を知る」スタートラインと言えるが、「自問自答」は、「自分を更に深く知る」ための有効な手段と言える。

「自分自身を深く知って」、初めて「他人のことが少し分かる」ように思える。

そして、「他人のことが少し分かる」ようになって、初めて「世の中の事がぼんやりと見えてくる」ように感じている。

つまり、「思い通りにならない」原因を探すための出発点も、「自問自答」により「自分自身を深く知る」ことになるのだろう。

                      

4.どうして、「怒り」の感情が湧き起こるのだろうか?

「怒りの」の本当の原因が、自分自身の中に有る一種の「こだわり」だとしても、

「怒り」の感情が湧き起こる時は、「自分は正しく、相手は間違っている」という考えが基本になっているように思える。

つまり、相手を正そうとする気持ちの現れと言える。

言葉を変えると、「相手を自分の意のままに変えたい」と思う欲望とみることが出来る。

そして、また「怒りの」の本当の原因である「こだわり」に気づいてみると、それは自分に取って「有利な」または「楽な」こだわりである場合が多いことに気づいていく。

・つまり、「怒り」の本質とは、自分にとって都合の良い状態 または快適となる状態を、無意識に相手の行動に求めていることに、他ならない。

それは、相手に対する一種の「甘え」と同質な行動と見なすことが出来る。

・「甘え」の本質とは、「自分が好む状態」へ、そして「自分が快適な気持ち」になるように、相手を「コントロールしようとする欲望」である。

相手との関係が、「親密である」または「長い付き合い」であるという理由だけで、相手に一方的に期待することになる。

それは、基本的に自分の「わがまま」であり、相手もその期待に応えてくれるという全く根拠の無い「思込み」と言える。

「怒り」の感情が湧き起こる場合も、初対面の人に対しての頻度は少ない。

相手との関係が、「親密である」または「長い付き合い」の場合、「怒り」の頻度は多くなる。

・ここで、重要な事実がある。

それは、「相手がどんな人であれ、自分の言動によって、相手を「本当の意味」で変えることは不可能である」という事実である。

この「本当の意味」について説明したい。

例え、自分が相手に対して、報酬、恐怖や脅しによって、相手を自分の意のままに出来ていると思ったとしても、自分という存在が相手の前から居なくなった途端に、相手は前の状態に戻って行くという意味である。

・それでも良いから、自分の目の前では、相手を自分の意のままにしたいと思うのは、基本的に自分の「わがまま」である。

そして、相手はいつか自分に復讐する機会を窺っていると、覚悟した方が良い。

                       

5.どうして、人は「相手に行動」を求め、「自分は楽をしよう」と思うのか?

・「怒り」や「甘え」の本質が、「自分が好む状態」へ、そして「自分が快適な気持ち」になるように、相手を変えたいという欲望だとして、どうして人はそれを望むのかを、これまでとは違った視点で考えてみたい。

つまり、どうして、人は「相手に行動」を求め、「自分は楽をしよう」と思うのか?

ここで、過去の遠い歴史を紐解いてみる。

「人体六00万年史」(下)ダニエル・E・リーバーマン著:塩原通緒訳:2017年11月25日 初版 に書かれている部分を抜粋する。

1万年前に起こった「農業革命」によって、弊害が発生した。

①飢饉

②労働増

③伝染病

そして、①・②・③の影響で、身長が縮んだ。

狩猟採集時代と比べて、農業時代の人は、約▲8cm身長が縮んだ。

・現在では、狩猟採集の旧石器時代の人と比べて、同等以上に身長が伸びて来た。

特に、1950年以降身長の伸びが著しい。

・これらのことから、農業に従事した農民は、過酷な労働環境であったと思われる。

日本では、3000年前の弥生時代から農業革命が始まり、江戸時代は農民が大多数であることは言うに及ばず、150年前から始まる明治・大正時代でも農民が多数を占めていた。

そして、昭和に入っても太平洋戦争敗戦後の1950年(昭和25年)でも第1次産業(大半は農業)の従事者は約50%であった。

それが、2015年では、第1次産業の従事者は4%、一方第3次産業の従事者は71%になっている。

・つまり、現在の日本人の大半は、農民では無いが、農民気質を色濃く持っていても不思議ではない。

また、このことは日本以外の諸外国でも、状況は良く似ていると考えられる。

・そこで、農民の労働環境が肉体的に過酷であり、身長もその影響で縮んでいたとするならば、少しでも休息できる時があれば積極的にその機会を活用していたと思われる。

そのことが、とりもなおさず自分が生き残るために必要だったのでは無いだろうか。

その時のDNAが、現在の日本人に残っているように、思われる。

「手を抜く」「さぼる」という行動の表現は、別の見方をすると、「休息している」とも考えられる。

また、自分以外の人には、自分のために、手足を動かして行動して欲しいと思うことにも、つながって来るのかもしれない。

つまり、「相手に行動」を求め、「自分は楽をしよう」とする。

・ただここで、現在の日本の状況を良く考えてみようと思う。

1950年以降、急速に身長が伸びて来た事実と、150年前の明治維新時点(1868年)の人口:34百万人が直近(2018年)の人口:1億26百万人に、3.7倍も人口が急増している事実を考えてみる。

因みに、2018年の人口は、ピーク時(2008年)の人口:1億28百万人よりは減少しているが、現時点では▲2百万人程度である。

実際に、深刻な人口減少が起きるのは、もう少し後である。

ところで、現在の日本ほど、食料が安く手に入る時期は、かつてなかったと思われる。

世界の有数な穀倉地帯では大規模農業と徹底した機械化された農業によって、また賃金の安い国での農業によって、農作物が安く輸入できるようになって来た。

そのため、生きていくための食糧エネルギーは、急激な人口増でも、十分に得ることが出来ている。

一方、一部の業種を除いて、農業ほどの肉体労働は少なくなり、体を動かしてエネルギーを多く消費する仕事は減って来ている

人の体は、適度に動かして、負荷を与え続けていないと直ぐに省エネモードに入ってしまう。

それが証拠に、訓練した宇宙飛行士が、宇宙空間で何か月か無重力状態で過ごしただけで、地上に帰還すると一人では歩行できない位に、足の筋肉が衰えている現象を見ても、明らかである。

・自分自身の体の中には、農民時代のDNAが刻み込まれていて、「相手に行動」を求め、「自分は楽をしよう」と無意識に行動しようとする。

しかし、現在の日本では、仕事上でもプライベートの時でも、意識して体を動かした方が、自分自身の健康には良いと考えられる。

常に、バランスが重要なポイントとなる。

発想の転換が、求められている時代のように思われる。

                    

6. 自分が体験した「内観」という研修で得たものを書いておく

この研修中は、日常生活同様に、3度の美味しい食事や入浴の時間もある。

そして、トイレに入った時、壁に貼ってある「詩」に凄く興味を引かれた。

研修の最後に資料をもらうが、その中に気になった「詩」も含まれていた。

生涯「内観」を行った「森川 りう」という方の、遺品の中から見つかった「道のうた」という「詩」ということだった。

自分が、特に好きな部分を以下に抜粋する。

・苦しいことから逃げていると

 楽しことからも遠ざかる

・出来ることはやろうとせず

 出来ぬ事ばかり心配している

・過去が現在を作る

 現在が未来を作る

 苦しいとも苦しさの中に学ぶものを見よ

 自分より他に自分を苦しめるものはない

・豊かだから与えるのではない

 与えるから豊かになる