強い「ストレス」を感じた人に着目して欲しいこと:強い「不満」(怒り)の場合 ・自分自身の中に「怒り」の原因を探す
1.強い「ストレス」、特に強い「不満」(怒り)を感じたと気づいたら、何に着目すれば良いだろうか?
(1)自分の「価値観」を知る
(2)相手の「価値観」を知る
(3)自分自身の中に「怒り」の原因を探す
(4)「思い通りにならない」原因を自分の中に探す
次に、『自分自身の中に「怒り」の原因を探す』の内容を説明する。
2.自分自身の中に「怒り」の原因を探す
どうすれば、自分自身の中に「怒り」の原因を探すことが出来るのだろうか?
①まず、自分自身が、相手に対して強い「不満」(怒り)の感情がある時には、冷静になるまで「待つ」しか無い。
②翌日や数日後、または一週間後に、自分の「怒り」の感情が収まって来た時が、重要なポイントとなる。
・まず行うことは、出来るだけ自分の言動と相手の言動、およびその場面の周囲の状況を振り返り、思い出すことである。
その際、極力詳細に思い出すことが重要な鍵となるので、出来ればそれらをメモやノートに書き出すことを勧める。
③そして、自分自身に着目してみる。
自分自身が「怒り」を覚えた時、「自分は正しく、相手は間違っている」と感じても、実際怒っているのは「自分」であって、「相手」では無いという事実がある。
すなわち、「怒り」の本当の原因は、「相手」にあるのではなく、怒りを覚えた「自分」の中に必ず有るということ。
そこで、「どうして、自分は相手の言動に、腹を立てたのか?」を、自分自身に問いかける。
これが、自問である。
そして、直感で気づいたことを、一つか二つ書き出してみる。
これが、自答である。
その時、自分自身にとって、分かりやすいい表現が望ましい。
自分自身が、「スッキリ」した場合は、それが自分の中の原因だったことになる。
この一連の行動が、「自問自答」と呼び、「内省」と呼ばれる行為となる。
④一方、書き出したことが自分の中の原因であると思えず、自分の気持ちが「スッキリしない」場合は、再度自問自答することになる。
そして、その2回目の自答の内容で、「スッキリ」した場合は、それが自分の中の原因だったことになる。
⑤もし、2度の自問自答の内容でも、自分自身「スッキリ」しない場合、その日はその時点で中止する。
しばらく、そのことをあまり考えずに過ごす。
そうしないと、このことが自分にとって、新たな「ストレス」源となってしまう。
そのうち(数週間後か、一か月後)、急にふとした拍子に気づくことがある。
それまで、無理をせず、そのことを忘れることを勧めたい。
⑥最後に、自問自答の後に、「今自分に出きること」を考えてみる。
ここでも、自分の直感を信じて、判断していく。
気づいたことを、書き出してみる。
そして、「今後、似たような状況が起きた時、自分はどう行動できると思うか?」を考えてみる。
そして、気づいたことを、書き出してみる。
3.自分自身の中の原因に気づいた後は、どうなるのか?
・特に、自問自答の後に考えた「今自分に出きること」に着目する。
ただし、今出来ることに気づいても、全て思い通りに中々出来ないものである。
それは、「相手と自分との理想の関係を考えて、それを相手も望むか考える」の場合と同じである。
・自分の行動に変化が現れるまでに、時間がかかることは当然と考えられる。
要は、「気づく」ことと、「修正しよう」という意志を持ち、「諦めなければ」、いつか必ず自然に出来るようになって行く。
・自分の原因に気づくと、どうして「スッキリ」するのかを考えてみた。
- 非常にシンプルな自分に対する問いかけに対して、全く予期していない回答が返って来た時の「驚き」に似た爽快感がある。
- また、「そういうことだったんだ」という疑いの無い「納得」に近い「スッキリ」感が得られる。
- 自問自答した後に、「今自分に出来ること」を考えるにしても、余り深く思案することもなく、頭に浮かんでくると同時に、「気づいたこと」を意欲的にやってみようと考える。
- その時点で、最初の自分の「怒り」の感情は全く消え去り、後に残る感覚は、「スッキリ」感だけとなる。
4.どうして、最初から「自問自答」をしないのか?
・それは、自分自身の体験と、カウンセリングを行って来た経験によって、全く過去に「自問自答」していない人が、最初から「自問自答」することは難しいと思っている。
・最初に自分に訪れる感情は、「自分は正しく、相手は間違っている」という「怒り」である。
その「怒り」の感情が収まったとしても、いきなり自分自身にその「原因」を求めることは通常難しい。
・以前、「自問自答」は二輪の自転車に乗ることに似ていると書いた。
最初は自信が無くて、恐々ペダルを踏み込んでいく。
しかし、最初に思いっきりペダルを踏み込んでスピードをつけないと、上手く左右のバランスが取れなくて、転んでしまう。
そのコツが、最初はつかめない。理屈ではなく、体で覚えるしかない。
一方、「自問自答」も最初は、自分自身に問うてみても、返って来た回答は何となく腑に落ちない内容となる。
・そこで、2輪の自転車も、初心者向けに2本の補助輪を後輪につければ、自由に走り回ることができる。
最初の片方の補助輪が、「どうして、相手は自分を怒られる言動を取ったのか?」という問いかけである。
これは、自分自身ではなく、相手に原因を求めていることになる。
最初は、このアプローチの方が、取っ付き易いと思う。
・次の片方の補助輪は、「自分と相手の関係が、どのようになれば自分は満足するのか?」また、「それは、相手も望むことなのか?」という問いかけとなる。
これは、自分と相手の間を、行ったり来たりしながら、模索することになる。
・このようにして、2本の補助輪を後輪について、自由に自転車を乗りまわしていると、或る日補助輪無しでも、自転車に乗れている感覚である。
そして、一度補助輪無しで自転車を乗ると、飛び抜けて高い「スッキリ」感を味わうことから、補助輪を必要としなくなる感じである。
5.「自問自答」を続けていると、どういう変化があるのか?
・人は、大切にしている つまり捨てられない「こだわり」の価値観を持っていて、各々独自の「個性」が必ずある。
一方、捨てられる「こだわり」も、人は数えきれない程持っているが、そのことを自分も含めて大抵の人は認識出来てない。
そのため、自分自身で気づければ、直ぐに捨てられる「こだわり」でも、後生大事に持っていることが多い。
・実は、その「こだわり」を持ち続けていることで、自分の感情が揺り動かされて「怒り」が生じていることに、「自問自答」を通して気づくことがある。
その気づいた「こだわり」を捨てることが出来れば、それ以降、その「こだわり」のために、自分が「怒り」を発することは無くなって行く。
すなわち、「自問自答」を続けていくと、「怒り「の頻度が減り、「ストレス」を溜めることが少なくなって行く。
6.自分自身の体験談
(1)60歳の時、会社から「CDA」(キャリアカウンセラー)の資格を取るように、業務命令されたことがきっかけとなって、正に「第二の人生」を歩むことになった。
翌年に資格を取得し、会社のキャリアメンタル相談員となり、自宅から会社に通勤することになった。
それまでは、国内外で7年半の単身赴任で業務を行っていた。
単身赴任が解かれて妻と同居生活が始まるが、7年半の年月は長く、お互いの生活のリズムをどのように調整しようかと悩んでいた。
(2)62歳の春、長女が2人目の妊娠で「つわり」のために里帰りして来た1週間目に、或る出来事が起きた。
その日は、たまたま長女の誕生日だったので、会社からの帰宅途中で誕生日のプレゼントを買い、帰宅してそれを渡した後だった。
その夜、長女が寝た後、自分が寝ようとした所に、妻が来て急に色々な不平不満を言い始めた。
自分は、眠いこともあったが、長女に誕生日プレゼントを渡したことにも不満げな妻に強い「怒り」を覚えた。
しかし、自分はその後、「モヤモヤ」した気持ちを引きずり、結局その年の秋から、「自分とは」というタイトルで自分の気づきを、パソコンに入力し始めた。
(3)自分の気づきは、特に何を書いても良い、すなわち自由とした。
しかし、最初は上記の出来事を中心に書き出した。
最初は、自問自答したが、さっぱりだった。
無理に、自分の「弱み」の一つであった、「劣等感が原因かもしれない」と書いたが、全く「スッキリ」しなかった。
そして、1~2か月たった或る日、会社への通勤途中でぼんやりと歩いている時に、「どうして、相手(妻)は、あの時、あのような言動をとったのだろうか?」という問いに気づいた。
その瞬間、長女は結局「つわり」で2週間居たが、丁度1週間経過した時、相手(妻)のストレスがピークだったのだろうと、気がついた。
そして、長女が寝た後に、自分に愚痴を言いに来たのだと分かった。
その愚痴は、自分にしか話せないものだし、或る意味では自分に助けを求めていたのかも知れないことに、思いが至った。
また、長女の誕生日に気づく前に、自分(妻)の方を気遣って欲しいという想いもあったように思えた。
その時、相手(妻)への「怒り」は全く無くなったと感じた。
(4)これが、自分の体験談から来る「最初の補助輪」だった。
その後、1年~2年程度は、「自問自答」というよりは「補助輪」を使って「自転車」を乗り回していたように思う。
2年が経過して、ようやく「自問自答」が使いこなせるようになって来た。
そして、最初の出来事を振り返り、「自問自答」してみた。
そうすると、直ぐに「スッキリ」となる自答が返って来た。
それは、自分自身の「心の壁」だと気づいた。
すなわち、自分自身の「心」の中で、「分業」という「壁」を築いていたということ。
長女の「つわり」に関することは、全て相手(妻)の分担であり、一切自分には関係ないという「こだわり」が、自分の中にはあった。
(5)長女が「つわり」で里帰りしたことは、いわば一種の「緊急事態」と見なすことが出来る。
にも、関わらず、自分が出来るだろう分担の一部を担おうとしなかったことになる。
その分担の一部としては、通勤前の「ゴミ出し」や帰宅時の「郵便受けの確認」などチョット考えれば、直ぐに思い浮かぶものである。
これらの分担は、今でも、自分が自主的に継続して行っている。
(6)この自分の中にあった「こだわり」は、プライベートの出来事で気づいたことであるが、実は会社の業務でも同様のことが発生することにも気がついた。
それは、会社の業務でも、緊急事態は時々発生する。
また、業務の区分も、自分と相手と不明確な部分が発生することは良くあることである。
その際、自分の中の「こだわり」を捨てていないと、自分の都合の良い業務区分を想定し、それ以外の業務を一切行わない可能性だってあった。
今は、自分の中の「心の壁」という「こだわり」を捨てることが出来たので、以前よりかなり守備範囲は広がったように感じている。