「ストレス」のまとめ‐4:「劣等感」と「コンプレックス」
1. 「劣等感」とは、一体何なのか? を考えてみる。
広辞苑で調べると、「自分が他人より劣っているという感情」となる。
現在自分が感じている「劣等感」について、周りの人達がどの程度劣っていると感じているかを調べたことも無く、また調べようともしていない。
つまり、自分が感じている「劣等感」とは、「実態がはっきりせず、あいまいである。」
そのような「劣等感」であるにも関わらず、自分の中に「はっきりとした劣等感」があり、今でも自分の中で「すくすくと大きく育っている」ことさえあることだ。
つまり、「劣等感」の本質とは、「実態の無い」「幻想」であると言える。
2. ところで、「劣等感」自身が、問題とは言えない。
①実態を伴っている「劣等感」(比較により、その差を明確に把握している)の場合で、その差を修正しようとしている時には、その「劣等感」は有効に働くと考えられる。
本人にとってその「劣等感」はストレスには違いが無いが、そのストレス源に対して戦う意志があることになる。
しかし、このケースは、実際には少ないと思われる。
②一方、「実態の無い」「幻想」である「劣等感」の場合、そのストレス源に対して逃げようとしていることになる。
残念ながら、このケースの場合が、圧倒的に多いと思われる。
この場合「逃げよう」としても、「劣等感」は、しっかり記憶されており、記憶が甦る都度辛い気持ちとなり、ストレスが溜まって行くことになる。
3.強い「劣等感」が「コンプレックス」に変化していくと、やっかいになる。
「劣等感」の本質が「実態の無い」「幻想」であるとすれば、「コンプレックス」の本質は「妄想」と言える。
「妄想」とは、根拠のない判断に基づき、事実や論理によっても訂正されることのない、主観的な「信念」である。
もし本人が、自分の「コンプレックス」に気づいたとしても、自分の「信念」を変えることは容易では無いと思える。
4. 「コンプレックス」には、以下の2種類がある。
(1)「劣等コンプレックス」:
・何もしないうちから「どうせ自分なんて」「どうせがんばったところで」とあきらめてしまう。
・自らの劣等感を、言い訳に使い始めた状態:本来は何の因果関係もないところに、あたかも重大な因果関係があるかのように、自らを説明し納得させてしまう。
・「一歩踏み出すことが怖い。」→現実的な努力をしたくない。→享受している楽しみを犠牲にしてまで変わりたくない。→多少の不満や不自由があっても、今のままでいた方が楽。
(2)「優越コンプレックス」:
・あたかも自分が優れているかのように振舞い、偽りの優越感に浸る。⇒過去の栄光である「プライド」にすがる。
・劣等感が強いからこそ自慢する。→自らが優れていることを、ことさら誇示しようとする。
・そうでもしないと、周囲の誰一人として「こんな自分」を認めてくれないと恐れている。
出典:「嫌われる勇気」(「アドラー」の教え) 岸見一郎・古賀史健著・2013年12月12日発行
5.「劣等コンプレックス」について
(1)「一歩踏み出すことが怖い」という心境を、少し考えてみる。
・明日のテストのための勉強をしようと思いながらも、その前に身の回りの「片づけ」や、好きな「ゲーム」など、勉強に関係ない行為をしてしまうことがある。
こういう行為は、自分自身に対する「言い訳」に繋がっていく。
テストの結果が悪くても勉強の時間が少なかったからと「言い訳」し、テストの結果が良かった時にも本当はもっと良い成績が得られたかもしれないと「言い訳」できる。
・周囲の人達の中で、圧倒的な結果を出している相手を見て尻込みしてしまうのは、勉強前に勉強と無関係の行為を行うことに似ている。
最初から「一歩踏み出さない」ために、自分に対する「言い訳」作りが始まる。
(2)そういう心境におちいった時、自分と周りの人を比較するのではなく、「今の自分の生活に、自分は満足しているかどうか?」を自分に問うてみたらどうだろう。
もし、満足ならば、敢えて一歩踏み出す必要は無い。
ただし、不満足ならば、一歩踏み出すことで、今の状態から抜け出せる可能性は高まる。
(3)強い「劣等コンプレックス」を抱いている人が、無意識に行っていることがある。
それは、常に「相手の立ち位置」から「自分の立ち位置」を、下げて相手を見上げていることである。
本来、相手がどんな人物であっても、相手と自分との「目線」は対等であり、相手の意見は尊重しても、同様に自分も意見を自由に述べることが出来る。
(4)しかし、相手の背景にある「地位」や「権威」に対して、無意識に自らの立ち位置を下げて、言いたいことも言わず、相手の言動に「怒り」を覚えても何も言わないことが多い。
そう感じた時には、自分自身が「劣等コンプレックス」を抱いていると考えた方が良い。
誰もが、「相手」によって上記のように感じる場面があると思うが、強い「劣等コンプレックス」を抱いている人は、その頻度が非常に多くなる。
(5)そして、強い「劣等コンプレックス」を抱いている人は、相手の言動に「怒り」を覚えても何も言わないことで、それは「恨み」の感情になっていく。
「恨み」は、より「深く」記憶に刻まれ、より「長く」忘れることがなく、相手に対して「復讐」する機会を考え、時にはそれを実行していくことになる。
そのことで、「恨み」を思い出す頻度も多くなり、その期間も長くなって行く。
それは、長期間に渡って、強い「ストレス」を溜め込んで行くことになる。
また、仮に「復讐」を遂げても、「すっきり」した感覚は訪れず、虚しさが残るだけである。
自分にとって、得るものは全く無いといっても過言ではない。
6. 「優越コンプレックス」について