「甘え」と「寛容」
1.「甘え」と「許容」
・「甘え」自体が、「悪」という訳ではない。
それは、「甘え」によって、親密さや信頼が増していき、強い絆になっていくからです。
その時の重要なポイントは、自分が「甘える」相手のことを良く知っていて、相手が「許容」できる範囲で「甘えられる」かどうかにかかっている。
・こちらがどんなに「甘えて」も、相手がそれを「許容」してくれれば、自然と絆は深まっていく。
これは、自分と相手だけでなく、グループでも同様のことが生じていく。
お互いがお互いを良く知り合っている人達の場合、各々が相手の「許容」できる範囲内で「甘えて」いれば、自然とそのグループ全体の雰囲気は良くなっていく。
・ここで、重要なことは、「甘え」と「許容」のバランスが、自分と相手との間で偏らないことだと思える。
2.相手の「期待」に応えて生きるのは、辛くなる
・幼児時代の環境かどうかはさておき、大人になってからも、周りの人達の「期待」に応えようと一生懸命生きている人がいる。
周りの人達の「期待」に応えられている期間は、全く支障がない。
・ただ、その「期待」から大きく下回って来た時に、この生き方は辛くなって来る。
それは、どうして辛くなるのだろうか?
・まず、相手の「期待」について、考えてみる。
①相手の私に対する期待は、相手にとって「都合の良いこと」または、相手が「有利になること」が多い。
・相手が私に期待する時は、私の考えや気持ちのことは、考えられていない。
②それでも「相手の期待に応えよう」とする行為は、自分を押さえ自分らしさを殺すことになる。
・自分の生き方を自ら見出さず、相手の「期待」に応えようとすると、いつかきっと辛くなる時がやって来る。
その時には、自分に「強いストレス」が生じて、精神的苦痛を味わうことになる。
・相手の「期待」が、本当に自分が「やりたい事」とは、違っているかもしれない。
本当に自分が「やりたい事」は、思い通りに行かない時でも、頑張れるものである。
一度、本当に自分が「やりたい事」は何で、相手の「期待」とどこが違っているのか、確かめる良い機会かもしれない。
3.精神的成長と「寛容」
・自分が「甘える」相手のことを良く知っていて、相手が「許容」できる範囲で甘えられる。そして、「甘え」と「許容」が、自分と相手との間で偏らないようにバランスが取れている。
これらは、お互いに相手のことを良く知っている間柄で、可能なことである。
・一方、初対面の人に対して、この「甘え」と「許容」の関係はどうなるのだろうかを考えてみる。
初対面であるので、お互いに相手のことは全く分からない。
その場面で、相手が「自慢話」をはじめて来たり、会話の途中で急に怒り出した時、すなわち相手が自分に「甘えて」来た場合、自分はどう対処できるだろうか?
この時に、相手の「自慢話」に耳を傾け、相手の「怒り」に同調せずに冷静に受け留められる、それは「寛容」の精神が現れていると思われる。
・「寛容」を、広辞苑や明鏡国語辞典で調べてみる。
心が広く、よく人をゆるし受けいれること。
また、人の過ちや欠点をきびしく責めないこと。
・「甘え」の気づきが、精神的成長の大きなターニングポイントであった。
また、抑制している自分の「甘え」に気づくことも、大きなターニングポイントとなる。
そして、「寛容」は、精神的成長の点で大きなステップであると考えられる。
『「甘え」と「寛容」』のまとめを、以下に書いてみる。
「甘え」によって、親密さや信頼が増していき、強い絆になっていく。相手が「許容」できる範囲で甘え、「甘え」と「許容」が偏らないようバランスを取ることがポイント。 相手の「期待」に応えようとして辛くなった時、本当に自分が「やりたい事」を確かめる。 「寛容」は、精神的成長の点で大きなステップである。 |