2020.3.2
「劣等感」について

「劣等感」について


1.「劣等感」とは、一体何なのか? を考えてみる。

広辞苑で調べると、「自分が他人より劣っているという感情」となる。

しかし、いつ誰から何を言われたのか? また、いつ自分が何で劣っていると感じたのか? はっきりしないことがある。

さらに、現在自分が感じている「劣等感」について、周りの人達がどの程度劣っていると感じているかを調べたことも無く、また調べようともしていない。

つまり、自分が感じている「劣等感」とは、「実態がはっきりせず、あいまいである。」

                       

2.ここで大事なことは、そのような「劣等感」であるにも関わらず、自分の中に「はっきりとした劣等感」があり、今でも自分の中で「すくすくと大きく育っている」ことさえあることだ。

つまり、「劣等感」の本質とは、「実態の無い」「幻想」であると言える。

                         

3.どのようにして、「劣等感」は生じて行くのだろうか? その一例を以下に示してみる。

①幼児の頃、「親の期待の応えようとする気持ち」が自分の中に芽生えていた場合。

その親から、周囲の子供と自分とが比較され、その期待に応えようとする。

しかし、それが全てにおいて応えられる訳は無く、その時にはごく自然に自分の中で「劣等感」が生じていく。

②それに対応できるとすれば、それは「スーパーマン」や「スーパーウーマン」だけである。

従って、人間(ホモサピエンス)には、不可能である。

③一方、幼児から学生時代を経て、社会人になれば、必要とされる能力の項目は飛躍的に多くなる。

にも関わらず、「他人と自分とを比較する」ことだけは、習慣的に継続されていると、さらに自分の中の「劣等感」は強化されていき、「コンプレックス」に変貌することがある。

強い「劣等感」が「コンプレックス」に変化していくと、やっかいになる。

「劣等感」の本質が「実態の無い」「幻想」であるとすれば、「コンプレックス」の本質は「妄想」と言える。

「妄想」とは、根拠のない判断に基づき、事実や論理によっても訂正されることのない、主観的な「信念」である。

もし本人が、自分の「コンプレックス」に気づいたとしても、自分の「信念」を変えることは容易では無いと思える。

                       

4.ところで、「劣等感」自身が、問題とは言えない。

実態を伴っている「劣等感」(比較により、その差を明確に把握している)の場合で、その差を修正しようとしている時には、その「劣等感」は有効に働くと考えられる。

本人にとってその「劣等感」はストレスには違いが無いが、そのストレス源に対して戦う意志があることになる。

しかし、このケースは、実際には少ないと思われる。

②一方、「実態の無い」「幻想」である「劣等感」の場合、そのストレス源に対して逃げようとしていることになる。

残念ながら、このケースの場合が、圧倒的に多いと思われる。

この場合「逃げよう」としても、「劣等感」は、しっかり記憶されており、記憶が甦る都度辛い気持ちとなり、ストレスが溜まって行くことになる。

③ここで、重要なことは、誰にでも「劣等感」があり、それはごく自然なことであると言いたい。

完全な人間(スーパーマンやスーパーウーマン)は、この世に存在しない。

つまり、全ては不完全な人間同士、お互い助け合って生きていくのが人間だと考えれば、「劣等感」を気にしないでも済むように思う。

                    

「劣等感」のまとめを、以下に書いてみる。

「劣等感」の本質は、「実態の無い」「幻想」である。「劣等感」の記憶が甦る都度、ストレスが溜まる。